今回は、日本サッカー界のKINGこと 三浦知良 の逸話を紹介します。
この記事を読んでほしいのはこんな人
一歩踏み出す勇気が出ない人
人生の岐路に立っている人
三浦知良 が好きな人
三浦知良 の超絶エピソード3選
① 中学3年の進路指導で志望高校を書く紙に「第一志望 ブラジル」と記入
書くだけなら誰でもできるが、実際に行ってしまうのがカズである。
とはいえ、送り出す家族の判断もまた称賛されるべきだろう。
② コンビニへはスーツ シャワー後はバスローブ
いつ誰見られてもいいようにどんな時も手を抜かない。
サッカー以外でも一切隙を見せないのが、カズのKINGたる所以である。
③ 徹底した自己管理 ピザは耳しか食べない
我々の想像をはるかに超える徹底した自己管理の上に成り立っているのだろう。
無責任なことを言うようだが、本当に還暦までやってほしい。
三浦知良 はココがすごい!
言わずと知れた日本サッカー界のパイオニア的存在で、誰もが認めるKING。
カズはサッカーでプロになることを夢見て高校を辞めて単身ブラジルに渡った。
そのとき若干15歳。
当時は日本にプロリーグもなく、野球や相撲に比べたらサッカーはマイナースポーツだった。
当時の日本は世界でもサッカー後進国であったことは間違いない。
ブラジルでは日本人がサッカーをしているだけでバカにされ、所属していたアマチュアチームからも差別を受けていたようだ。
しかし、腐らず練習を続け、努力と結果で周囲を認めさせて、ペレやネイマールも所属していたことがある、名門サントスFCでプロ契約を勝ち取った。
カズが19歳のときだった。
23歳になるとカズは母国のサッカー界のために日本に戻ることを決意。
Jリーグ開幕時は真のスパースターとして日本中を熱狂させ、周囲の選手はカズがブラジルで培った徹底したプロ意識を学んだ。
日本代表でもエースとしてチームを引っ張ると共に、今では当たり前となった試合の勝利給や大会の優勝ボーナスの仕組みを協会に認めさせるなど、日本サッカー界に「プロとは何か」を浸透させていった。
また、カズは日本人で最初にイタリアのセリエAに移籍した。
記者にイタリアでは通用しないのではと問われたときに「通用しないから行くんだよ」と言い放ったのは有名な話である。
その後、クロアチアやオーストラリアへの移籍も経験しながら、56歳のときにはポルトガルへ移籍。
今でも挑戦を続けているカズがチームと新たな契約を結ぶたびに、世界中のトッププレイヤーがSNSでカズへのリスペクトを発信する。
世界のサッカー界に今もなお貢献し続けている、誰もが認めるレジェンドである。
管理人のひとり言
フランスワールドカップでのメンバー落選や、東日本大震災チャリティーマッチでのゴールなど、まだまだ語り尽くせない事は多い。
周囲からどれほど否定されても、1%の可能性に人生をかけることができるカズの生きざま。
めちゃくちゃカッコいいし、心の底からあこがれるが、自分がマネできるかと言われれば到底無理である。
でもカズと自分を比較する必要はない。大切なのは自分にとっての挑戦をする勇気だと思う。
小さなことでいい。一歩踏み出すことが重要だと気付かせてくれる存在がカズである。
カズはまだまだ物語の途中だろうが、カズはカズにとってどれほどの挑戦をしてきたのだろうか。
ひとつ言えることは、カズは挑戦することで新しい世界を切り開き、そんなカズを見て人々は勇気をもらってきたということ。
自分も人生で迷うことがあったら、挑戦できる方を選びたい。
勇気が足りないときはカズが背中を押してくれる気がする。
三浦知良 の経歴
coming soon